「ベトナムは人件費が安い」——進出を検討する経営者がまず耳にする言葉だ。だが、額面の給与だけを見て判断すると、思わぬ落とし穴にはまることがある。
給与・賞与・社会保険料・労働組合費といった法定コストに加え、採用費・教育コスト・離職コストといった「見えない隠れコスト」まで含めると、ベトナムの人件費の全体像はずいぶん違って見えてくる。
ベトナム進出企業の会計・税務を支援する横山会計グループ(YOKOYAMA KAIKEI GROUP)。代表の横山氏は2018年にベトナムにわたり、現地で8年にわたってチームを率いてきた。会計の専門家としての視点と、自ら現地法人を経営してきた実務経験の両面から、ベトナム人件費の「リアル」について統計データと現地での実体験を基に解説頂いた。

ベトナムの人件費データ|平均月収・年収と東南アジア比較
—端的に伺います。「ベトナムの人件費は安い」という通説は、実態に即しているのでしょうか。
(横山氏):結論から言えば、統計上見れば、相対的に安価とも言えますが、単純に「安い」と言うと語弊があります。少なくとも日本人を採用するのと比べれば確実に安く、そこには大きな意味があります。
まず、統計上の数値から分かることもあります。ベトナム統計局(財政省)の発表によると、2025年通年のベトナムの労働者一人あたり平均月収は840万ドン。第4四半期だけで見ると870万ドンまで上がっています。ドル換算でおおむね月300ドル台前半、というイメージですね。
日系企業に絞ったデータでも傾向は同じです。JETROの「海外進出日系企業実態調査」を見ると、製造業の作業員の月額基本給は、ベトナムが平均302ドル。マレーシアの549ドル、タイの490ドル、インドネシアの385ドルと比べても低い水準です。マネージャー級でも、製造業でベトナムは1,179ドルで、マレーシア(1,920ドル)やタイ(1,774ドル)を大きく下回っています。
一人あたりGDPもちょうど2025年に5,000ドルを超えたところで、人口は1億人。都市部だけでなく、人件費がまだ安い地方や、これから伸びていく中間層も控えている。安価な賃金と、ボリュームのある中間層が同時に増えていく——そんな過渡期にあると思っています。

東南アジア主要国の月額基本給(平均値、米ドル)
| 国 | 製造業・作業員 | 製造業・エンジニア | 製造業・マネージャー | 非製造業・スタッフ | 非製造業・マネージャー |
|---|---|---|---|---|---|
| マレーシア | 549 | 1,011 | 1,920 | 1,176 | 2,441 |
| タイ | 490 | 830 | 1,774 | 932 | 1,928 |
| インドネシア | 385 | 513 | 1,077 | 743 | 1,288 |
| フィリピン | 303 | 428 | 1,075 | 574 | 1,534 |
| ベトナム | 302 | 538 | 1,179 | 784 | 1,660 |
| カンボジア | 247 | 451 | 1,225 | 569 | 1,374 |
ベトナムの賃金上昇率の推移|人件費は毎年7〜10%上がる
—ベトナムにおける足元の賃金動向をどうご覧になっていますか。
(横山氏):重要なポイントです。ベトナムの賃金は、年間7〜10%というペースでCPI(消費者物価指数)の影響を受けながら、しっかり上がってきています。経済発展が著しいベトナムでは年々上昇することが当然なので、「安い」という言葉は少し修飾して語る必要があります。
マクロデータの数字でも裏付けられています。2025年の平均月収は前年比プラス8.9%、世帯一人あたりの所得もプラス9.3%でした。一方、2025年通年のCPIはプラス3.31%、コアインフレはプラス3.21%。つまり実質賃金の伸びは5%強あり、「賃金がインフレに食われる」状況ではなく、購買力はむしろ着実に改善しています。
法定の最低賃金も上がります。2025年11月の政令(No.293/2025/ND-CP)で、2026年1月1日から地域別最低賃金が引き上げられました。最も高い第1地域(ハノイ市、ホーチミン市などの大都市部)は月496万ドンから531万ドンへ。第4地域(農村部・山岳地帯)でも345万ドンから370万ドンへと、各地域で25万〜35万ドンの増額です。
「安い」のは事実ですが、「安いまま」ではない。むしろ毎年着実に上がっていく前提で考えておく必要があります。

ベトナム国内の人件費比較|ホーチミン・ハノイ・地方の賃金差
—同じベトナム国内でも、進出先によって人件費に差は生じるのでしょうか。
(横山氏):実際にデータの裏付けもあります。先ほどのJETROの製造業作業員の都市別データを見ると、月額基本給(平均値)はホーチミン市が379ドルで国内最高。次いでハノイ市が321ドル、ドンナイ省307ドル、ハイフォン省299ドル、ロンアン省295ドル、ビンズオン省292ドルと続きます。北部のバクニン省で239ドル、ダナン市だと233ドルまで下がります。
注目すべきは、近隣国と比べたときの位置づけです。ホーチミンの379ドルは、中国・東莞市の408ドルやインドネシア・ジャカルタの416ドルよりは安い。一方で地方の省に目を向けると、カンボジアのプノンペン(273ドル)を下回る水準の地域もある。「ベトナムの中でもどこに出るか」で、人件費はずいぶん変わってくるわけです。
だからこそ、都市部以外の選択肢まで含めて立地を考える価値があります。安価な賃金水準の地域と、消費の担い手となる中間層——その両方が国内に併存しているのが、ベトナムの強みだと思います。

(出所)JETRO「海外進出日系企業実態調査|アジア・オセアニア編」よりInfoBase作成
給与に上乗せされるベトナムの労務コスト|社会保険の企業負担
—法定コストの中でも社会保険の負担は無視できないと聞きます。企業の負担率はどの程度でしょうか。
(横山氏):会社負担分、つまり事業主が負担する部分でいうと、ベトナム人は21.5%、これに労働組合費が2%かかります。外国人は失業保険がない分やや低く20.5%で、組合費は同じく2%です。そこそこのパーセンテージですね。
内訳は、社会保険が会社負担17.5%、健康保険が3%、失業保険が1%(失業保険はベトナム人のみ)。日本人駐在員を含め、ベトナムで給与所得を得る労働者は強制保険への加入が義務付けられていて、外国人は社会保険と健康保険が対象になります。
—日本の水準と比較すると、負担感はどう違いますか。
(横山氏):日本の事業主負担分は15〜16%程度なので、ベトナムのほうが少し高いといえます。なお組合費の2%は、外部の上部労働組合団体に拠出する費用です。労使紛争の仲裁や、労働者の権利保護・福利厚生、休業時の手当などの原資に使われる、という位置づけですね。
ここがまさに「額面だけ見ていると見落とす」部分です。月給に対して2割強が、給与とは別に固定で乗ってくる。これを織り込んで初めて、本当のコストが見えてきます。
ベトナムの社会保険制度(企業・従業員負担率)
| 保険種別 | 補償内容 | 対象者 | 会社負担率 | 個人負担率 |
|---|---|---|---|---|
| 社会保険 | 疾病手当、産休手当、労災・職業病手当、退職年金(一時社会保険含む)、遺族年金 | ベトナム人および外国人労働者(社内異動者を除く) | 17.5% | 8.0% |
| 健康保険 | 医療費の8割給付(医療保険適用可能な病院のみ) | 無期雇用契約または3か月以上の雇用契約がある労働者(社内異動者を除く) | 3.0% | 1.5% |
| 失業保険 | 加入期間に応じた期間、平均給与の60%を給付 | 3か月以上の雇用契約があるベトナム人 | 1.0% | 1.0% |
ベトナムの手当設計と労務リスク|厳格化する社会保険調査
—実務上、ベトナムでよく用いられる手当には、どのようなものがありますか。
(横山氏):社会保険料の対象になるかどうかにかかわらず、役職給を手当として切り出している会社もあります。そのほか、ランチ手当、ガス代、駐車場代、電話代などを手当として設定している会社もありますね。
—こうした手当は、企業側が自由に設計してよいものなのでしょうか。
(横山氏):もともと手当は法律上で限定列挙されて決められているのですが、これまではあまり厳しく運用されていない面がありました。それが最近では、社会保険事務所が抜き打ちで状況を確認する機会も増えてきています。
たとえば役職手当などは、実態としてはほぼ給料そのものです。「なぜそこを分けているのか」「それは基本給でしょう」と補正されてしまう。行き過ぎた社会保険料の節約策には、少しずつメスが入ってきている、という状況です。
背景には、ベトナム当局側の事情もあります。本来取れるはずの社会保険料を取りはぐれているかもしれない状況で、財源を確保しなければならない。公務員の給料が低く、当局自体に財源が足りていないという事情もあるので、ここにメスを入れるのは財源確保の観点からは自然な流れなのでしょう。手当を使った調整は、もう以前ほど自由には効かなくなってきていると考えたほうがいいです。

ベトナム人件費の実態|賞与・社会保険を含む年間コスト比較
—給与・賞与・社会保険まで含めると、企業が実際に負担する総額はどの程度になりますか。
(横山氏):これもデータから分かることがあります。「年間実負担額」——基本給に諸手当・社会保障・残業・賞与などを足した、企業が一人あたりに負担する年間人件費の総額です。
たとえば製造業の作業員。月額基本給はベトナムで302ドルでしたが、年間実負担額になると5,270ドルです。単純に月給を12倍すると3,624ドルですから、実際の負担はそれを4割以上も上回る。社会保険や賞与、残業、諸手当が乗ってくるからです。
マネージャー級でも同じ構図です。製造業マネージャーで年間1万9,379ドル、非製造業マネージャーで2万5,385ドル、非製造業スタッフで1万1,959ドル。いずれも額面の月給から受ける印象より、ずっと大きくなります。
国際比較で見れば、ベトナムの年間実負担額はマレーシアやタイより低い。けれど、フィリピンやインドネシアとはかなり拮抗してきていて、職種によっては逆転しているものもあります。「ベトナムだから断然安い」とは、もう言い切れなくなってきているんです。
ただ——ここまではあくまで「数字に表れるコスト」の話です。本当に注目すべきことは、ここに表れないコストのほうなんです。

東南アジア主要国の年間実負担額(平均値、米ドル)
| 国 | 製造業・作業員 | 製造業・エンジニア | 製造業・マネージャー | 非製造業・スタッフ | 非製造業・マネージャー |
|---|---|---|---|---|---|
| マレーシア | 9,081 | 16,658 | 31,035 | 18,105 | 37,660 |
| タイ | 8,815 | 14,105 | 29,755 | 15,593 | 32,154 |
| インドネシア | 6,272 | 8,545 | 18,434 | 9,133 | 21,318 |
| ベトナム | 5,270 | 9,100 | 19,379 | 11,959 | 25,385 |
| フィリピン | 4,858 | 7,736 | 17,504 | 9,506 | 24,835 |
| カンボジア | 3,931 | 7,421 | 15,718 | 8,385 | 19,931 |
数字に表れないベトナムの人件費|採用・人材育成・離職コスト
—給与や法定コスト以外に、見えにくい「隠れ人件費」があるとのことですが、具体的にはどのようなものでしょうか。
(横山氏):皆さんがパッと思い浮かべるのは、法定福利費等だと思います。でも実際には、採用のために人材紹介会社へ紹介料を払わなければならなかったり、採用した人を教育するコストもかかる。教育はキャッシュアウトを伴わず、自社スタッフで行うことも多いのですが、これが結構大きいと感じています。
というのも、教える側はそれなりの立場の人、主力級の人材になるんです。その期間はその人が教育にかかりきりになり、本来お願いできていた仕事が頼みにくくなる。本来取れていたはずの仕事が取れなくなる——そういう機会損失につながります。
—教育コストは数値化が難しく、見過ごされやすい領域ですね。
(横山氏):そうなんです。決算書に載る手間ではないので見落としがちですが、その時間を奪われなければ、もっと多くのお客様を取れたかもしれない。「人手がふさがって受けられない」という事態も避けられたかもしれない。
しかもベトナムは、現地社員の平均勤続年数は2〜3年ともいわれ、特にキャリア志向の強い現地優秀人材の離職率は高い傾向にあります。上長や上位役職者がしっかり教育したのに定着せず辞めてしまうと、教育に費やした時間も、その時間で得られたはずの収益も失われる。
辞めればまた新たな採用コストがかかりますし、引き継ぎ要員が確保できない期間は、その人が抱えていた仕事を他のメンバーで分担することになって、稼働が上がり残業代も増えます。こうした隠れたコストまで含めると、かなり大きなインパクトになる。
つまり、人をどんどん入れ替えていくには、ベトナムはもうだいぶ高くなってきている。人件費の絶対額が低すぎる、という話ではなく、本質はそこなんですよね。できるだけ辞めない、リテンションを意識した組織運営をしたほうがいい。これが、私が一番お伝えしたい問題提起です。

成長するベトナムの賃金見通し|人件費は今後も上がるのか
—ベトナムは2025年に約8%の経済成長を記録しました。仮に賃金を毎年8%引き上げれば、単純計算で10年後には倍増します。この見立ては妥当でしょうか。
(横山氏):もちろん、それをコミットする必要はないのかもしれません。ただ、従業員の側に社会的な期待があるのは間違いない。「これだけ成長している国で給料が上がらないとはどういうことだ」という感覚ですね。テト(旧正月)賞与を1ヶ月分、定期的に期待されるのも、同じく社会的期待があるからです。
ですから、仮にテト賞与を全部業績連動にしたとしても、可能な限りその期待に応えられるように、できれば1ヶ月分以上は払えるように、皆にも頑張ってもらう。給与の上昇率も同じで、経営者だけの努力ではなく、「貢献してくれるからもう少し上げよう」という形で、労使双方が協力して実現していくものだと思います。
当社も実際、だいたい年7〜10%程度は上がっている感覚です。物価上昇率やGDP成長率などいくつかの指標がありますが、最終的に年間の賃金上昇率が7〜8%、あるいは10%程度になっていると望ましい、という言い方ですね。

東南アジア主要国の賃金ベースアップ率見通し(2026年)
| 国・地域 | 総数 (%) | 製造業 (%) | 非製造業 (%) |
|---|---|---|---|
| ベトナム | 5.5 | 5.6 | 5.4 |
| インドネシア | 5.1 | 5.4 | 4.7 |
| フィリピン | 4.9 | 4.5 | 5.2 |
| カンボジア | 4.2 | 3.2 | 4.5 |
| マレーシア | 4 | 3.8 | 4.2 |
| タイ | 3.9 | 3.5 | 4.3 |
ベトナムの採用・人材戦略|第一号社員が組織の成否を分ける
—現地でチームを立ち上げる際、最も重視すべき点は何でしょうか。
(横山氏):一番大事なのは、第一号の社員を誰にするかです。私は最初の三ヶ月、ずっと採用活動に注力しました。募集要項をつくって募集し、履歴書を見て、自分で面接する。待遇面の条件が合わず、応募が思うように来ない時期も経験しました。それでも、やはり第一号社員が一番大事だと思います。
第一号の社員のレイヤーとしては、シニア、シニアスタッフくらいがちょうどいいと思っています。私的な意見ですが、マネージャーでもなく、ジュニアでもない。ジュニアよりは知見があって、フットワークも軽い。日本語が話せる必要は必ずしもないかもしれません。中途半端に日本語ができるより、たどたどしくても間違いなく英語で話してくれるほうがいいというのが自分の実体験です。
—あえてマネージャー級ではなくシニア級を採用する。その狙いはどこにあるのでしょうか。
(横山氏):マネージャーを採れば短期的には楽になりますが、マンツーマンで自分の仕事の流儀を伝える格好の機会を逃してしまう。私の場合は営業出身なので、「スピードとクオリティとおもてなしの心」をずっと伝えてきました。
少し下のレイヤーのほうが、それを素直に受け取って、機敏に動いてくれる。職位や年齢が上だと「こんなことをするために入ったんじゃない」とフラストレーションが溜まりかねない。その人がバックオフィスをまるごと引き受けてくれたから、私は営業に専念できた。その意味でも、最初の一人の選び方は本当に大きいんです。

ベトナム人件費の総括|数字と隠れコストから考える人材活用
ベトナムの人件費は、額面で見れば確かに安い。だが、その安さは年7〜10%のペースで縮まりつつあり、社会保険を含めた「実負担額」、さらに採用・教育・離職という「隠れコスト」まで視野に入れると、話は単純ではない。
このインタビューを通じて、横山氏が一貫して語ったのは、「数字に表れないコストこそ意識すべき」というメッセージだった。人を使い捨てにせず、リテンションを前提に組織を設計すること。そして、成長する国にふさわしいペースで給与を考えていくこと。「安いから」ではなく「どう活かすか」——ベトナム進出の成否は、その視点の有無にかかっているのかもしれない。
専門家プロフィール

横山会計グループ
横山 和寿
代表取締役・公認会計士・税理士
日本拠点:東京都中央区東日本橋二丁目28番4号
日本橋CETビル2階
ベトナム拠点:7th Floor, No. 07 Ly Tu Trong Street,
Sai Gon Ward, Ho Chi Minh City, Vietnam
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本記事の編集

ベトナム経済メディアInfoBank 編集長
三浦 賢弥
KENYA MIURA
筑波大学大学院でのベトナム研究・ホーチミン市師範大学での留学を経て、JETRO(日本貿易振興機)に入構。
ベトナム進出コンサルティング・市場調査会社に7年間携わり、2026年1月にベトナム経済メディアInfoBankを企画・運営する株式会社InfoBase創業。代表取締役に就任。
