ベトナムの化粧品・香水市場は長く海外ブランドが優位にあり、国産品は日用品か観光客向けの土産物に置かれてきた。その市場で、Z世代の台頭とともに「ベトナムらしさ」が価値として求められ始めている。外資の強い領域に打って出るのが、ホーチミンで50年以上香水を作り続けてきた老舗、サイゴン化粧品だ。

土産物の棚から国内の若い消費者へ、店頭に加えて空間・法人需要へと自己変革を進める同社のファム・フン・ヴィン(Pham Hung Vinh)社長、ルオン・アン・ビン(Luong An Binh)常務副社長、グエン・タイン・ラン(Nguyen Thanh Lan)海外営業部長への取材から、ベトナムの化粧品・香水市場で起きている変化と、老舗が描く次の一手を読み解く。

国産香水を手に取るのは観光客からベトナム人へ

ベトナム人は輸入品を使い、国産香水は観光客が買っていた

ベトナムの化粧品市場では、韓国コスメや欧米ブランドの正規輸入に加え、個人が持ち込むハンドキャリー品まで流通経路が多様で、国内企業の存在感は長く限られてきた。こうした市場で国産品が置かれてきた場所は、価格で選ばれる日用品か、外国人観光客が手に取る土産物のどちらかだった。「主力ブランドのMiss Saigonも、国内の消費者からは長く観光客向けの製品と見られていた」とヴィン社長は振り返る。観光客はベトナムらしさの強い製品を探して買い、国内の消費者は輸入品を使う。同社はその構図を自社の店頭で見てきた。

サイゴン化粧品の沿革。1975年以前から続く香水会社を前身に1990年に工場を設立し、1999年の株式会社化、2006年のカットライ工業団地への工場集約を経て、2010〜11年にCGMP ASEANとISO 9001の認証を取得した。

Z世代の登場で変わった購買の決め手

その構図を動かしているのがZ世代だ。ニールセンによれば2025年のベトナムのZ世代は約1,470万人で消費者の約3割を占め、ニールセンIQの調査ではZ世代の8割が「本物であれば国内ブランドを支持する」と答えている(現地報道)。ヴィン社長の見方もこれと重なる。若年層は出自より製品の背景にある物語を見て、原料の中身まで確かめる。そこにベトナム製品への誇りが重なり、国産であることが初めて評価軸に乗ったという。

同社はパッケージと言葉遣いを若い世代向けに刷新し、各地の観光地を巡るように香りの物語を発信してきた。ブランド店舗では以前、来店客の9割超が外国人観光客だったが、観光客数が増え続ける中で国内客がそれを上回る勢いで伸び、比率は7割程度になった。国産メーカーの競争環境を整える政府の方針も後押ししている、と同社は見る。

店頭で「Miss Saigon Elegance」の香りを試す消費者。かつて来店客の9割超を外国人観光客が占めたブランド店舗で、ベトナム人の客が増えた(写真提供:サイゴン化粧品)

TikTokと専門チェーンへ 購買チャネルの重心移動

伝統市場からスーパー、そして専門チェーンへ

国産品が選ばれ始めた背景には、消費者が化粧品をどこで買うかという構造の変化もある。販売を統括するビン常務副社長によれば、10年以上前のベトナムでは化粧品や日用品の販売はほとんどが伝統的な市場や個人商店(伝統小売)を通じていた。その後スーパーへ、さらにミニマートやコンビニへと近代小売(モダントレード)が広がり、国内系・外資系の双方がチェーンを拡大した。

現在、若い消費者の化粧品購買はさらに専門チェーンへ集中しており、HasakiやGuardianといった化粧品・ドラッグストア型の店舗が主戦場になっている。新しい売り場を追いかけるのは外資だけではない。50年の老舗である同社も、伝統的なチャネルやスーパーを維持しながら、投資の重心を若い消費者が集まる売り場へ移している。

ハノイ、ホーチミン、ホイアンに構える同社の直営店「HOARIENT」。購買の重心がスーパーや専門チェーン、ECへ移る中でも、観光地の直営店は国内外の客がブランドを体験する場として機能している(出所:サイゴン化粧品ウェブサイト)

TikTokの口コミが実店舗の棚を決める

オンラインの変化はさらに速い。2〜3年前に首位だったLazadaに代わってShopeeとTikTokが台頭し、TikTokは2年前にはほぼ存在感がなかった状態から、ベトナムで最も成長する商取引チャネルになったと同副社長は言う。メーカーにとってECは売り場であると同時に、実店舗の棚を取る入口でもある。オンラインで試用と口コミが生まれれば、スーパーや専門チェーンが取り扱いを判断する材料になるからだ。

KOL・KOCや著名人の起用もその一部で、同社もミス・コンテスト出身でアオザイ姿での活動が多いグエン・ホアン・フオン・リン(Nguyen Hoang Phuong Linh)さんを「Miss Saigon」のイメージキャラクターに起用している。消費者に製品を知ってもらい、手に取る最初のきっかけをつくるのが起用の役割で、その後の再購入と口コミを生むのは製品そのものだというのが同社の考え方だ。

イメージキャラクターのグエン・ホアン・フオン・リンさんを起用したビジュアル。若い世代向けに刷新したパッケージと言葉遣い、各地の風景を背景にした香りの物語で、国内の消費者に向けた発信を強めている(写真提供:サイゴン化粧品)

外資優位の市場で評価され始めた『ベトナムらしさ』

アオザイのボトルと土地の香り、品質は国際基準

国産であること自体が売りにならない市場で、ベトナムらしさを評価の対象に変えるには、それを「土産物らしさ」ではなく品質を備えた個性として成立させる必要がある。ヴィン社長が語る製品設計は、香りはベトナム特有、パッケージはベトナムの伝統、品質は国際基準という三層でできている。香水「Miss Saigon」のボトルはアオザイと笠を身につけた女性の姿を模し、素材や線の表現は何度も改良してきたが、この核は変えていない。香りにはバオロックの茶、ニャチャンの沈香、ハロンの海、ドンタップの蓮といった土地の香りを採用し、調香は国際的なパートナーと協業し、工場はCGMP認証のもとで品質を管理する。

アオザイと笠を身につけた女性をかたどった「Miss Saigon」の陶磁器ボトル。素材や線の表現は改良を重ねてきたが、一目でベトナムの製品と分かるこの核は変えていない(写真提供:サイゴン化粧品)

海外の調香師を茶畑に連れて行く

難しいのは、土地に根ざした香りを海外の調香師にどう伝えるかだ。ヴィン社長が挙げた方法は、調香師を原料の産地へ連れて行くことだった。最近ではラムドン省バオロックの茶畑に香りを採取する機器を持ち込み、茶工場で生の茶葉が約60時間の工程を経て製品になる過程を体感してもらった。

ラボに戻った調香師が再現した香りは、早朝の茶畑を思わせるものと、深夜の工場で職人が茶を挽く空気を思わせるものの二つになった。地域版「Miss Saigon Heritage」はこうして生まれたシリーズで、土産物から出発した同社ならではの、香りを観光資源として扱う発想が、国内の若い消費者に届き始めている。

香水から空間・法人需要へ 広がる香りの売り方

リゾートやオフィスビルの空間を香りで演出する

香りの売り方は、店頭の香水にとどまらなくなっている。同社は国内のホテルやリゾート、オフィスビルに対し、ディフューザー機器で使うアロマオイルを供給する「香りのソリューション」を提供している。香水そのものではなく空間を演出するための精油で、南部のリゾートやホーチミン市内のオフィスビルなど複数の施設に導入され、ホワイトティーの香りなどが好まれているという。

香りで空間の印象やブランドの記憶を作る手法はセントマーケティングと呼ばれ、日本ではホテルや商業施設で先行してきたが、同様の需要がベトナムの商業施設でも生まれている。

法人ギフトと体験型サービスへの広がり

法人向けの用途はさらに広がる。銀行が顧客向けポイントプログラムの交換商品に同社の香水を採用するほか、企業イベント用のギフトセットや、取引先の名前を入れた共同ブランド製品の需要がある。同社が開発を進めているのは、顧客会議や結婚式の会場に移動式ブースを持ち込み、来場者が自分で香りを調合し、名前を刻印した一本を持ち帰る体験型サービスだ。香りは単品で売るものから、企業が顧客との接点に使う道具へと用途を広げている。

原材料高の2年間 価格に敏感な日用品市場での選択

香水で培った香りは、シャンプーや洗剤などのパーソナルケア・ホームケアにも展開され、同社の売上の裾野を支えている。値上げが通りにくいこの領域に、ここ2年の地政学的変動が重なった。ベトナムは香料や原材料、包装資材の多くを輸入に頼り、燃料価格も国際市況に連動するため、世界の変動は投入コストに直接跳ね返り、競合の多くは値上げに動いた。

ヴィン社長が「デリケートで挑戦的な局面だった」と語るこの時期、同社が取締役会と株主の合意のもとで選んだのは、品質管理を維持したまま一部の生活必需品の価格を据え置き、販促費や輸送費の無駄を削って吸収する道だった。取引先との関係はむしろ深まったというのが同社の実感で、2026年には海外の独立機関で刺激試験を経た赤ちゃん・母親向けのラインも投入し、価格で勝負しにくい日用品の中に試験データで差をつける製品群を育てている。

老舗が日本市場に見る次の試験 基準の厳しさを機会に

ベトナムの国産ブランドにとって、日本は輸出先の中でも基準の厳しさで知られる市場だ。同社も中国、韓国、米国と並んで日本を戦略市場に挙げるが、ヴィン社長の話しぶりからは、売上の期待先というより自社の品質を測る物差しとして見ていることがうかがえる。「機会であると同時に課題」という表現は、その両面を指すものだろう。

参入の形は、自社ブランドで棚に並ぶ道と、日本企業のプライベートブランドをOEMで製造する道の二つが想定され、軽やかで繊細とされる日本の嗜好に合わせて香りは調整する一方、品質と原材料・香料の原産地基準は変えないという。国産香水が国内の若年層に受け入れられた経験が、出自ではなく品質と物語で選ばれる市場で通用するか。日本はその問いが最も厳しい形で突きつけられる場所でもある。

香水で始まった国産志向は化粧品の棚のどこまで広がるか

同社工場の生産ラインで香水「Miss Saigon」を箱詰めする作業員。アオザイ姿の紫色のボトルを一本ずつ手作業で化粧箱に収めていく。CGMP認証のもとで生産を管理している(写真提供:サイゴン化粧品)

国産志向が次に試される三つの売り場

国産志向はまず、物語が価値になりやすい香水で形になった。日本や韓国のブランドが強いベトナムの化粧品市場で、現地ブランドがこの先どこまで広がるかは、三つの売り場で試される。香水で国産を選んだ消費者が、シャンプーや洗剤でも同じ選択をするかという日用品の棚。原料と安全性が前提になった上で、産地の物語や体験という次の価値を持ち込めるかというスキンケアの棚。そして、TikTokと専門チェーンが開いた経路で、都市の若年層の変化が地方に及ぶかという地方の棚だ。

国産品が国内で選ばれにくかった背景には、海外ブランドへの信頼が先に立つ市場の空気があった。国際基準の生産管理や各国の第三者試験を備えた国産ブランドが、産地の物語を携えて同じ棚に並ぶとき、「日本製」「韓国製」という出自がこれまで持ってきた意味は、同じままだろうか。国産香水の店頭で観光客と国内客の比率が入れ替わった速さを見る限り、Z世代とECはこの市場の時間の進み方を変えている。次の棚で同じことが起きたとき、出自ではなく何で選ばれるのか。ベトナムの化粧品市場は、国産と外資の双方にその答えを求め始めている。

※本記事は2026年10月、サイゴン化粧品(Saigon Cosmetics Corporation)のファム・フン・ヴィン社長、ルオン・アン・ビン常務副社長、グエン・タイン・ラン海外営業部長へのオンライン取材に基づく。Z世代に関する数値はニールセン、ニールセンIQの調査を引用した現地報道による。

現地取材

記者

Huy Hoang

フイ・ホアン

ベトナム国営放送「ベトナムの声放送局(VOV)」で17年にわたりジャーナリスト・編集者・アナウンサーとして勤務。交通インフラや都市開発の投資・建設プロジェクトの取材を専門とし、グリーン経済や持続可能な発展戦略も継続的に取り上げる。企業経営・市場動向・マクロ経済に通じ、現場取材に基づく分析記事やルポ、討論番組を手がける。

記事の執筆・編集

ベトナム経済メディアInfoBank 編集長

三浦 賢弥

KENYA MIURA

山形県山形市出身。筑波大学大学院でのベトナム研究・ホーチミン市師範大学での留学を経て、JETRO(日本貿易振興機構)に入構。

ベトナム進出コンサルティング・市場調査会社に7年間携わり、2026年1月にベトナム経済メディアInfoBankを企画・運営する株式会社InfoBase創業。代表取締役に就任。

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