ベトナムでは近年、自閉スペクトラム症(ASD)ADHDをはじめとする発達障がいへの社会的関心が急速に高まっている。SNSの普及や保育・教育現場での気づきをきっかけに保護者の理解は年々深まる一方、療育施設専門人材の不足支援体制がハノイ・ホーチミンなど都市部に偏る地方格差発達障がいへの心理的な抵抗感など、解決すべき課題も少なくない。

こうした市場動向を踏まえ、InfoBankは、株式会社学研ホールディングスに対し、ベトナムにおける発達障がい児支援の現状について取材を行った。

取材には、同社グループのベトナム拠点で、保護者と幼保園・習い事施設を繋ぐ最大級のプラットフォームを運営する「KiddiHub」(KIDDIHUB EDUCATION TECHNOLOGY JOINT STOCK COMPANY)と、AI技術を活用した子どもの発達評価サービスを展開する研究開発型スタートアップ「エフバイタル株式会社」が取材協力として参加した。3社への取材から見えてきた、ベトナムの発達障がい支援の現在地について本記事で述べたい。

(取材企業)

取材対象企業

株式会社学研ホールディングス

教育・医療福祉関連事業を展開する日本の大手企業グループ。グローバル事業本部東南アジア事業室では、ベトナムでKiddiHubを含む複数社と資本提携を結び、幼児教育を含むK-12教育領域や日系企業の進出支援など、多面的に事業を展開している。

取材協力

KiddiHub

保護者と幼保園・習い事施設を繋ぐベトナム最大級のプラットフォームを運営。療育施設等の情報も掲載し、発達障がい児支援の独自データを保有。

ベトナム全土約30,000の教育施設と園長・保護者に広がるオンライン/オフライン双方の接点を活かし、日系企業の進出や事業拡大も支援。株式会社学研ホールディングスのグループ会社であるアイ・シー・ネット株式会社のベトナム拠点。

取材協力

エフバイタル株式会社

AI技術と医学的知見を活用し、子どもの発達支援・ヘルスケア事業を展開する研究開発型スタートアップ企業。

一般的なカメラ映像を解析して子どもの発達を自動評価する特許取得済みのAI技術を強みとする。ベトナムでは発達障がい児の早期発見・支援に積極的に取り組んでいる。


【参考】株式会社学研ホールディングスのベトナム事業の展開状況

株式会社学研ホールディングスのベトナム事業の展開状況(出所)株式会社学研ホールディングス 中期経営計画

ベトナムで深まる発達障がいへの保護者理解とその社会的背景

保育園・幼稚園が最初の気づきの場に

ベトナムでは、生後6〜9ヶ月頃という比較的早い時期から子どもを保育園・幼稚園に通わせる家庭が多く、都市部ではさらにその傾向が強い。1歳前後で集団生活が始まると、保育士や教員が子どもの発達特性に気づき、保護者に伝えるケースが少なくないという。

ベトナムではこれが発達障がいに関する最初の「タッチポイント」になるケースが多い。もっとも、指摘を受けた直後の保護者は「自分の子どもは普通」と思い込みがちで、すぐには受け入れられないこともある。

ベトナムでの事業活動の様子。写真は学研ホールディングスのグループ会社、アイ・シー・ネット株式会社のベトナム拠点であるKIDDIHUBが2025年に開園したGK Bilingual Preschoolでのプログラムの様子(写真)株式会社学研ホールディングス提供

SNSがベトナムの保護者理解を後押し

直近10〜15年で状況を大きく変えたのが、FacebookやTikTokといったSNSの普及だ。発達障がいの子どもを持つ親同士が情報交換する数万〜数十万人規模のFacebookグループが存在するほか、TikTokでも教員や専門家による発信チャンネルが増加し、保護者が知識を得る機会が広がっている。ベトナム政府による政策・法律・公的補助というよりは、基本的にはボトムアップの流れで、困っている保護者自身がコミュニティを作り、ネットで情報収集している状況が自然と形成されている。

ベトナムでの発達障がい認知は「ASD(自閉症スペクトラム)」が中心で、ADHDなどその他の発達障がいはまだあまり浸透していない、というのが日本から見た印象だという。認知は徐々に深まりつつあるものの、日本と比べるといまだ限定的で、「ASDとは何か」という定義自体もまだ十分に定まっていない状況にあり、社会的な認知が広がり始めたばかりのステータスにあるとされる。

ベトナムにおける発達障がい児の人数と発症率

統計に見るASD・ADHDの発症割合

発達障がいのある子どもの人数について、公式かつ体系的な統計は存在しないが、複数の報道・調査データから一定の傾向がうかがえる。ベトナム現地の報道機関が引用する数字によると、ASDの子どもの割合はおおむね1.5〜2%、ADHDは約3%とされる。ASDは3歳頃までに兆候が明確になるため早期に発見されやすい一方、ADHDは就学前は学習量が少なく見分けがつきにくく、小学校入学後に学習の遅れから発覚するケースが多いため、発見のピークは6歳前後になるという(現地報道による)。

ユニセフ(UNICEF:国際連合児童基金)の発表によると、ベトナムには16歳未満の障がいのある子どもが約110万人いるとされる。また、ベトナム統計総局のデータでは、障がいのある子ども全体は約200万人、2歳以上の障がい者は約620万人にのぼり、うち約100万人ASDを有すると推計されている。さらにベトナム国立小児病院の発表では、2024年だけでASD関連の受診件数が16,000件を超えたという。

一方で、地域調査ではばらつきも存在する。地域調査や主要小児病院のデータによれば、ASDの診断または疑いのある子どもの割合は子ども人口のおよそ1〜2%とされる。これに対し、クアンガイ省で実施された地域調査ではASD率0.38%、北部3省を対象とした調査では0.75%とする研究結果も報告されており、調査対象や手法によって数値には幅があるのが現状だ。

世界共通の診断基準とベトナム特有の事情

診断基準自体(精神障害の診断・統計マニュアルであるDSM-5等)は世界共通である。ただし臨床の実務では、基準に加えて「日常生活でどれだけの困り感を抱えているか」を考慮した上で診断をつけるかどうかの判断がなされることが一般的である。

この困り感の度合いは国によってばらつきが生じ得る。例えば、日本は集団行動・社会性の高さが求められる社会であるため困り感が出やすいのに対し、ベトナムは元気で「わんぱく」であることが比較的許容される社会であるため、同じ症状でも困り感が少ないと感じられることもありうる。この違いが、国ごとの診断のばらつきの一要因となっている。

同じくGK Bilingual Preschoolでのプログラムの様子(写真)株式会社学研ホールディングス提供

ベトナムの療育、重症度別ニーズと地方の課題

子どもごとに異なる支援ニーズ

求められる支援は子どもや家庭環境ごとに異なる。例えば保護者が共働きの家庭は、まずは安全に子どもを預けられる施設が必要とされる。また、子どもの症状や年齢によって、求められる発達支援も多様である。言葉がまだ出ていない低年齢の子どもに対しては個別療育による発話支援が望まれる一方、比較的年齢の高い子どもについては、職を手につけ、社会的に自立できるよう、職業訓練が重要となる。エフバイタルが現状メインの対象としているのは、比較的低年齢の子どもだが、今後は対象年齢や症状の幅を広げていきたいという方針を示している。

IT活用で広がる地方への支援

ベトナムでは、質の高い支援機関やサービスがハノイ・ホーチミンの両都市に集中しており、地方に住む家庭にとっては利用のハードルが高い。KiddiHub上に掲載されている療育センター約1,400施設(うちハノイ・ホーチミンで約500施設)にのぼるが、これでも市場全体の3割程度に過ぎないという。

療育センターは幼稚園と比べて施設数自体が限られているうえ、発達障がいを前面に出すと保護者に敬遠されるため、施設名や打ち出し方をあえてマイルドにする傾向がある。そのため保護者は主にGoogle検索で施設を探すことになり、KiddiHubはこうした検索需要と施設を結びつける「マッチングの場」としての役割を担っているという。

「Baby Track」は東京大学・筑波大学発のスタートアップ企業であるエフバイタル株式会社が開発・展開している、AI動画解析技術を活用した乳児発達支援アプリ。

発達障がいの早期発見・早期支援に向けて、エフバイタルは日本との違いとして「乳幼児健診の実効性を高めること」が鍵になると考えているという。この背景には、専門人材の不足に加え、農村部の家庭にまで支援を届けられることの重要性がある。同社は、家庭内で非医療者でも、より医学的エビデンスに基づいた発達検査ができ、そのデータを医療機関に連携してトリアージ(優先順位付け)できる状態を目指しているという。

具体的には、一般的なカメラで撮影した映像を解析し、子どもの発達を自動評価するアルゴリズムを開発済みで、家庭内ではアプリを通じたアンケート調査も実施し、映像をアップロードすることで、親の主観と客観的な画像解析を組み合わせた精度の高い発達検査を実現しているという。

エフバイタルのベトナムでの活動の様子(写真提供)エフバイタル

これにより、医療者に対して過不足のない適切な診断材料を事前に提供でき、「並んで待って結局診察を受けられない」というハノイの現状の課題解決につながるとしている。診察時間の短縮と診断の質の担保を両立するソリューションとして開発が進められている。直近ではハノイ医科大学との共同研究でこのサービスの活用を開始する予定で、臨床と家庭をつなぎ、アクセシビリティを高める取り組みとして位置づけられている。

ベトナム市場参入の障壁と発達支援の今後の展望

農村部に残る心理的な抵抗感と制度の未整備

日系企業がベトナムで発達支援関連サービスを展開する際の障壁として、大きく2点が挙げられた。第一に、発達障がいへの認知が広がっているのは都市部が中心で、農村部では「発達検査を受ける意味があるのか」という啓蒙自体がまだ必要な段階にあること。第二に、発達障がいという特性を認めることへの精神的なハードル、いわゆる受け入れ難さが農村部ほど強く残っていることだ。

日本では乳幼児健診が法律上の義務として組み込まれ、受診率の高さを支えているほか、診断後も自治体の相談窓口や児童発達支援センターなど一定の受け皿が存在する。一方ベトナムでは、診断を受けるメリット(公的補助や診断後の相談先など)が未整備なため、「そもそもどこに相談すべきかも分からない」という葛藤があるという。なお、ASDに効果が明確な薬剤は基本的に存在せず(ADHDには薬剤の選択肢がある)、教育的・医学的な療育介入への接続が不可欠だと補足されている。

ベトナムの発達支援、診断と療育をつなぐ連携構想

今後の展望について、KiddiHubとエフバイタルは既に療育センター向けセミナーを共同開催しているが、保護者への広範なリーチはこれからの課題だとする。発達障がいへの対応は現状、保護者の間で任意の取り組みにとどまっているとの見方があり、これを社会全体で当たり前に行われる行動として定着させていくには、小学校入学前のスクリーニング制度化など行政の関与が不可欠であり、民間企業だけでは実現が難しいとの見方が示された。

「入り口」(乳幼児健診や病院での適切な診断)と「出口」(地域の療育情報へのアクセス)をつなぐことの重要性がますます重視される。エフバイタルが入り口側の診断精度向上を、KiddiHubが出口側の情報プラットフォームを担うことで、両者の連携が支援エコシステム構築の一歩になるとの期待が語られた。

発達障がい支援の次のステージへ

SNSの普及等を背景に、ベトナムでは発達障がいへの保護者の理解が着実に広がりつつある。しかし、その歩みは都市部が中心であり、療育施設や専門人材の不足、農村部に根強く残る心理的な抵抗感、公的支援制度の未整備といった課題は依然として大きい。

KiddiHubとエフバイタルの取り組みが示すように、「入り口」となる早期発見・診断の精度向上と、「出口」となる療育情報へのアクセス改善を両輪で進めることが、支援エコシステム構築の鍵となるだろう。

もっとも、こうした民間主導の取り組みだけでは限界があり、小学校入学前のスクリーニング制度化をはじめとする行政の関与が不可欠だ。保護者の孤立した努力を社会全体の当たり前の仕組みへと転換していけるかどうかが、ベトナムにおける発達障がい支援の次なる焦点となる。

ベトナム経済メディアInfoBank 編集長

三浦 賢弥

KENYA MIURA

筑波大学大学院でのベトナム研究・ホーチミン市師範大学での留学を経て、JETRO(日本貿易振興機構)に入構。

ベトナム進出コンサルティング・市場調査会社に7年間携わり、2026年1月にベトナム経済メディアInfoBankを企画・運営する株式会社InfoBase創業。代表取締役に就任。