ベトナムのトー・ラム共産党書記長兼国家主席が11月上旬、公式実務訪問賓客として日本を訪れる。両国関係の節目として報じられることになりそうだ。ただ、日本とベトナムの各政府がそれぞれ掲げる協力分野と、企業が実際に投資を判断する基準は、必ずしもすべて同じ方向を向いている訳ではない。
ハノイに駐在して約9年、日本とベトナム双方の政府機関に関わる政策立案支援と、日本企業の進出支援を両輪で手がけるMRIV International LLC(三菱総合研究所ベトナム法人)General Directorの緒方亮介氏にに、今後の日越関係を長期で見るための視点を伺った。以下は、緒方氏の見立てをもとに整理したものである。
【取材対象者】

MRIV International LLC(三菱総合研究所ベトナム法人)
緒方 亮介
General Director
三菱総合研究所にて、日系企業の東南アジア市場への進出支援およびベトナムを中心とした現地政府の政策立案支援を手掛ける。
2016年から日系総合商社への出向を経て、2020年同社ハノイ駐在員事務所設立に伴い初代所長として着任。2024年からMRIV International LLC(当社ベトナム現地法人)初代社長を務める。
首脳会談の三本柱と、半導体投資に残る時間差
首脳会談の焦点はエネルギー・法制度・DX
今回の首脳会談で重要になるテーマは三つに整理できる、というのが緒方氏の見方だ。一つ目はAZEC(アジア・ゼロエミッション共同体)の枠組みに基づくエネルギー分野と農業分野の協力、二つ目は日本企業の進出を円滑にするための法制度の運用の明確化、三つ目はイノベーションとDXで、半導体もここに含まれる。いずれも両国政府が優先度を置いてきた分野であり、方向性そのものに異論は少ない。
半導体は投資誘致より人材の循環が先に動くか
ただ、三つ目の半導体については、政府間の議題と企業の投資判断の間に時間差がある。半導体メーカーが前工程の工場を構えるには、電力の安定供給、水の品質、人材の層の厚さといった諸条件が揃う必要があり、ベトナムがその水準に達するにはまだ時間を要する。
現状で現実的な接点となっているのは人材である。今後、日本国内で半導体工場の立ち上げが続く中で、生産を支える設備エンジニアやメンテナンス人材の需要は大きく、数も必要になる。理系人材の層が厚いベトナムと人材確保を急ぐ日本の間で、育成と受け入れを組み合わせる形であれば、双方の需要に応える余地がある。

ベトナムが求める投資の質、日本企業が求める内需と人材
今後の日越関係を見るうえで最も重視すべきは、双方の優先順位の違いだと緒方氏はみる。ベトナム側は近年、投資の量よりも質を重視する方針を鮮明にしており、半導体、原子力含むエネルギー、レアアースの加工といった分野で日本の技術に期待を寄せている。
一方、日本企業が関心を持ちやすいのは、拡大する内需を取り込む事業や、相対的に人件費が低く優秀な人材を活用した付加価値の創出だ。ベトナム側が国内企業に担わせたいと考える分野と、日本企業が狙いたい分野は、重なることもあれば、ずれも生じている。ここに双方の期待の差が生まれている。

技術移転を前に進める鍵は知財・特許保護の整備
技術移転についても、同じ構図が読み取れる。ベトナム側には、製造業の技術移転を通じて国内の裾野産業を育てたいという意向が強い。一方、日本企業には過去の経験から技術流出への慎重さがある。技術移転を促すのであれば、知的財産や特許の保護体系の整備が前提になり、これは三本柱の二つ目である法制度の課題と直結する。法の運用が読みにくい状況では、技術を伴う投資ほど意思決定が慎重にならざるを得ない。
2045年先進国入り、成長率10%が示す目標の重さ
ベトナム政府は2045年までの先進国入りを掲げている。この目標を成長率から逆算すると、高齢化が進むにつれて高成長の維持は難しくなるため、先進国の所得水準に届くには、向こう数年は10%前後、その後も高い水準の成長を続ける必要がある。今年の成長率は積極的な公共投資を積み上げても10%には届かない見込みで、目標の水準の高さが窺える。

北部の高成長を支える中国との経済的な結びつき
省別の成長率を見ると、10%を超える地域は北部の工業都市に多い傾向がある。その背景にあるのが外資の流入、とりわけ中国系資本の存在だ。北部では資本の面でも人的交流の面でも、中国との結びつきと重なる形で成長が進んでいる。
ベトナムは米国、日本、中国の間でバランスを取る「竹外交」を掲げてきた。そのうえで緒方氏は、10%成長を続けるにはインフラ整備と大規模な投資の両方が欠かせず、北部の現状を踏まえると、中国との経済関係が成長を支える柱の一つになっていくとみる。日本に求められるのは、投資の規模で競うことではなく、日本でなければ担えない領域を見定めることだという。
中国に技術で追われる時代、日本が選ばれる理由とは
技術競争の中で、ベトナムITが探す次の成長モデル
AI、ロボット、製造技術の多くで、中国の追い上げは避けられない。技術そのもので優位を保つことが難しくなる中で、ベトナム経済を押し上げる日本の原動力がどこにあるかが問われる。ベトナム国内のIT産業は、大手を中心に日本のITベンダーの下請けとして日本語のできるブリッジ人材を介して開発を担うオフショア型が主流である。このモデルは相対的に安い労働力と日本語人材を前提に成り立っており、AIによる開発工程の自動化が進めば、請け負う仕事の量そのものが縮小する可能性がある。AIの普及がそのままベトナム経済の押し上げにつながるとは限らない。
一方で、異なる経路も見え始めている。海外の有力大学で学んだベトナム人を高待遇で呼び戻し、自社開発に充てる新興IT企業が複数現れている。人口1億人の国であれば、一握りの天才も一定程度存在するため、彼等を国内に戻して事業を起こす動きは、オフショア開発とは別の成長の経路として注目に値する。

介護保険から整備士資格まで、制度ごと移す支援
では日本は何を残せるのか。多くの分野の中で可能性が高いものとして緒方氏が挙げるのは、社会制度と、その制度を前提に成り立つ技術である。一例が介護保険制度だ。日本の仕組みをベトナムに導入する議論は、保健省や労働省との間で断続的に行われている。日本で介護士として働いたベトナム人が帰国後も活躍できる仕組みは、日本の介護事業者のベトナム進出とも噛み合う。自動車整備士の資格制度も同様で、日本で技能を身につけた人材が帰国後に資格を持って働ける制度を整えることで、人材の循環が生まれる。
また、「防災」も、日本と同様に台風や洪水といった災害と向き合うベトナムにとって日本への期待が非常に高い。国民の豊かな暮らしを守る社会制度を設計し、運用してきた経験は、ベトナム側からも評価されている。
ヘルスケアと農産品、信頼で選ばれる二つの領域
制度の延長線上にあるのが、診断・治療・予防を含むヘルスケアの技術である。社会制度の下で診断や予防の仕組みを運用してきた経験は、医療機器そのものの性能とは別の価値を持ち、技術で追いつかれても簡単には代替されない。
もう一つ、緒方氏が日本の強みとして挙げるのが農産品だ。分かりやすい例として示すのが、ベトナムの富裕層が日本を訪れたときの行動で、健康診断を受け、梨やブドウ、桃といった果物を買い求めて帰る。ヘルスケアは制度への信頼、農産品は品質への信頼に支えられており、いずれも技術単体の競争とは別の土俵にある。
日越がそれぞれの優先順位を確かめ直す機会に
トー・ラム書記長兼国家主席の訪日は、両国が米中対立下での互いの優先順位を確認し直す機会でもある。政府間の議題と企業の投資判断の間には時間差があり、ベトナム側が求める分野と日本企業が関心を持つ分野には重なりとずれの両方がある。この差を意識しないまま協力分野だけが積み上がれば、議題は増えても事業が動かない状態が続きかねない。
日本企業にとっては、エネルギーや資源といった大きな議題を追いながら、人材、制度、ヘルスケア、農産品、防災といった日本だからこそ提供できる領域で事業を組み立てることが、次の10年の関係を形づくることになる。ベトナムが先進国入りを目指す過程で、日本はどの領域で、誰と組んで関わるのか。今回のラム氏の訪日は、その問いを日本として立て直す格好の機会でもある。
【本記事の編集・執筆】

ベトナム経済メディアInfoBank 編集長
三浦 賢弥
KENYA MIURA
山形県山形市出身。筑波大学大学院でのベトナム研究・ホーチミン市師範大学での留学を経て、JETRO(日本貿易振興機構)に入構。
ベトナム進出コンサルティング・市場調査会社に7年間携わり、2026年1月にベトナム経済メディアInfoBankを企画・運営する株式会社InfoBase創業。代表取締役に就任。
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